北嶋裕

しかし今年、雨にも増してドイツの生産者達を恐れさせているのが「スズキ」である。日本出身のそれは4月頃にバーデンの果樹園に姿を現し、やがて7月頃から勢力を増しながら次第に北上し、ヴュルテンベルク、ファルツ、フランケン、ラインヘッセン、そしてモーゼルのブドウ畑にも姿を現した。特に赤ワイン用のブドウを好み、数日のうちに深刻な被害を及ぼしかねないという危険な存在だ。といっても、人間ではない。学名を「ドロソフィラ・スズキイDrosophila suzukii」と言うショウジョウバエの一種で、和名は「オウトウショウジョウバエ」である。オウトウは桜桃、つまりサクランボのこと。その名の通りサクランボやイチゴ、キイチゴ、ブルーベリー、プルーンをはじめとする、もっぱら果皮が赤~黒の果実やベリーに産卵する。1930年頃には日本・韓国・中国で広く生息していたというこのショウジョウバエの一種は、1980年代にハワイ、2008~9年には北米西部とカナダで大繁殖し深刻な被害をもたらした。ヨーロッパでは2008年にスペインで最初の被害がみつかり、2009年にフランスとイタリア、2011年にはオーストリア、ドイツ、スイスまで拡大した。 ちなみに、オウトウショウジョウバエの学名にある「スズキ」の名は、大正時代に京都で花園昆虫研究所という標本商を営んでいた鈴木元次郎氏に由来する。鈴木氏は元々蒔絵職人だったのだが、その図案の参考にするために島津製作所の標本部に出入りしているうちに、昆虫学に魅せられたらしい。スズキの名が最初に文献に登場するのは1931年のことで、昆虫学の大家であった松村松年博士の『日本昆蟲大圖鑑』の猩猩蠅科の中で「スズキシャウジヤウバヘ Leucophenga suzukii Mats.」とあるので、当時松村博士はコガネショウジョウバエ族の一種と鑑定したようだ。